意志 [小説]
「夫と別れたいんです」
彼女がわたしのオフィスを訪れたのは、一昨日のこと。
わたしは便宜上、彼の前では離婚調停が専門の弁護士と名乗っていた。
「まだ分からないの?」
「ああ、分からないね」
わたしがいるのも忘れたように、言い争う二人。
そんな喧騒をよそに、わたしは自分の仕事をするべく、二人の指から伸びた赤い糸を確認する。
彼の方はまだ小指でしっかりと結ばれていたが、彼女の方はというと完全にほどけかけていた。
これでは確かに、彼女の気持ちが冷めているのも仕方ない。
「あなたとは一緒にいたくないの」
彼女は冷たく言い放つと、わたしの方をちらりと見た。
それを最終確認と判断したわたしは、スーツの内側に手を入れると胸の内ポケットから華美な装飾の施された銀色のハサミを取り出した。
すっと手を伸ばし、二人の間にある赤い糸を切る。
何の抵抗もなく、赤い糸は切れてしまった。
「ああ、わかったよ。お前とはもう終わりだ!」
とたんに夫は態度を急変させ、吐き捨てるように言う。
彼はテーブルに置かれた離婚届へ乱暴に署名と捺印をすると、こんな場所には一秒でも居たくないとばかりにオフィスを出て行った。
その背中を驚いたように見送る彼女。
ハサミが見えていない彼女には、わたしが何をしたのか分からないのだから当然だろう。
しかし、すぐに笑顔に変わる。
何が起こったかというより、別れられたという事実の方が彼女にとっては重要なのだ。
「ありがとうございました」
「これがわたしの仕事ですから」
そう、わたしの仕事はただ二人を別れさせるだけのこと。
このハサミを使って。
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