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藤田嗣治先生 [小説]


 

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我輩が料理をする際は、いわゆる料理本を参考にする。


これがタマにカチンとくることがある。


よく「塩、コショウ少々」と書いてある。

我輩は、「いったい"少々"とは何グラムなのだ!」と声を大にして料理本にツッコんでしまう。

ついでに料理本をひっくり返して表紙の料理研究家の名前と顔写真をしっかりと見て

「オマエかー!オマエがこんなアバウトな少々などという表現をして、民衆を混乱におとしめているのだなぁー!」っとツッコんでしまう。

他にもこんな大雑把な表現に怒りを憶えるヒトは少なくないだろう。

そんないい加減な加減で美味しい料理ができるわけがないっ。

いろいろ調べたところ"少々"とは「親指と人差し指で軽くつまんだぐらい」とあった。



試しにつまんで計量器に落としたところ、針はピクリとも動かなかった。


これは数字で言うところの「0(ゼロ)」である。


文学でいうところの「虚無」である。


SF小説でいうところの「宇宙の果て」もしくは「虚数時間」か。



料理で宇宙の神秘や日の「禅」や「弾」に出会うとは思わなかった。

同じ表現でもまだ「スプーン一杯」とか「スプーン半分」の方がいい。

手持ちの標準的なシュガースプーン一杯分の重さをあらかじめ計量器で計っておけばいいのだから。


料理本に「塩スプーン一杯」と記述があれば「塩なになにグラム」と変換すればいいだけのことだからだ。

もっともなぜ料理研究家が、こんなにいちいち変換しなければならない表現をするのかは永遠の謎だが。


しかし、これがもし宇宙規模、地球規模になると破滅的効果をもたらすことになる。

この前ニュースで見た、県だか市だか町だかをあげての料理イベントがそれだ。

ふだんは"少々"の表現で済まされている些細なはずの行動が、目をおおいたくなる事態に豹変してしまっていた。


巨大なナベを使う芋煮会だか、巨大なナベを使うジャガイモの煮っ転がし会だかでは、塩をバケツでブチまいているではないか。


あれのどこが少々なのだ!あれは何キログラムだろうが!あれは何十キログラムだろうが!

「バケツ一杯」とか「バケツ半分」を計量器で計っているのか!


絶対に計ってないだろう!

ニュースではそのナベを建設用クレーン車がきれいな金属の巨大なシャモジで豪快にかき混ぜている光景をうつしていた。



なんだかんだで料理が完成した。


本当か?


みんなで食べる。


家族で食べる。


お父さんも食べる。


お母さんも食べる。


円らな瞳の可愛い赤ちゃんの口元に、お母さんがやわらかいジャガイモなどを運ぶ。

その純粋で汚れを知らない赤ちゃんがモグモグ食べる。


みんなみんな「おいしいおいしい」と言って笑顔で食べる。


これを幸福と言う。


流石だ。

あんなアバウトな状況でおいしい料理を作ってしまうなんて流石料理人は違う。


我輩は脱帽した。






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