無口な妻 [小説]
「ねえ、子供できてたらどうする?」
またか。
彼女がこの問いを繰り返すのは、何度目だろう?
僕は自動車を走らせながら、こっそりため息をついた。
ドライブの帰り道。
山間の道はくねくねと折れ曲がり、揺れすぎないように、慎重にハンドルを切る。
彼女が神経質だから。
「今日はまだ眠たくないのかい?」
彼女が寝たら僕の好きな音楽をかけてもよいルールになっている。
彼女ときたら、自分はハードロックなんかを平気でかけるくせに、僕のクラシックは無言でスイッチを切るのだ。
大きな山は、薄くかげった空のシルエットになって巨大に迫りくる。
自動車のライトに照らされた道はいつもと
おんなじに続いている。
はるかかなたから、点滅した表示灯。
トンネルだ。
あ、スピード出しすぎ?おっとっと。
吸っていたタバコを消すために、彼女の足元の灰皿を引き出すと、ちょっとハンドルがぶれて軽く車体が揺れる。
とたんに彼女が足を引っ込めた。
「まだ、子供できたって決まったわけじゃないから、タバコ吸っていいよね・・・」
彼女は無言。
まっすぐな道が青黒い空の下に続く。
しかし道はでこぼこで、ライトの影ができるところの前で慎重にブレーキをはずし、スプリングをきかせながら段差を通り過ぎる。
彼女は首をかるく振りながら、音楽にのっているようなので、僕は安心した。
「ねえ、貯金しないとねえ。」
と、彼女が言った。
この台詞も何度目だろう。
こう何度もドライブをしていてはお金はちっとも貯まらないよ・・と言おうとしてあきらめた。
いつもお金のつかい方でけんかになるから。
「そうだねえ。もうちょっと倹約していかないと」
僕はぶつぶつつぶやくように言った。
「ねえ、子供出来てたらどうする?」
またか。
しつこいなあ、こいつは。
僕は子供のいる生活を思い描いた。
楽しいだろうな、仕事から帰っても自分の時間はますますなくなりそうだろうけど。
楽しいだろうな・・・。
もう彼女は寝てしまったので、僕はジャンバーをかけてやり、またハンドルに集中する。
「寝てるときが一番かわいいなあ・・」
なぜか涙がにじみ出てきたが、僕は理解できなかった。
街が近づいてきて、すれ違う自動車が多くなった。
ライトがやけに眩しい。
「そうか、ライトが眩しいからか。」
僕は納得し、アクセルを踏み込む。
彼女は寝てしまったけれども、クラシックはかけないでおいてあげよう。
よく眠らせてあげよう。
☆ ☆ ☆
「あの人って仕事以外に何してるんですかねえ」
同僚が言った。
もう一人が答えた。
「奥さんが亡くなってから、夜な夜なドライブしてるらしいぜ。うわさだとマネキンにスピーカーを仕込んで、助手席に乗せてるって。一言二言は話すって・・・」
コメント 0