姉 [小説]
僕の姉は、変わっています。
雨の日には、わざと傘をささず濡れて帰ってきます。
お腹がすくと、踊り出します。
自分には甘いけど、他人には厳しいです。
友達があまりいません。
勉強が不得意です。
でも、絵を描く事だけはとんでもなく秀でています。
僕は、そんな姉が嫌いでした。
姉が恥ずかしかったです。
姉をみかけても、なるべく他人のフリをするようにしていました。
僕に恥ずかしい思いをさせる姉が嫌いだったからです。
僕は、体が弱いです。
小さい頃から入院がちでした。
貧血になりやすいです。
今日は、僕が倒れた事がひどく大事になってしまいました。
隣に寝ている姉の顔は、少し疲れているようでした。
僕は、本当は知っていました。
僕の母は厳しい。
だから、僕が雨の日に、少しでも濡れて帰ると怒られます。
しかし、僕が怒られないように姉がわざと濡れていたことを。
踊り出すのは、僕が小さい頃に姉の踊りをみて笑ったので、僕に笑ってほしいからだということを。
確かに他人には厳しかった。
しかし、僕にはとんでもなく優しかったことを。
誰よりも友達を欲しがっていたことを。
誰よりも努力していたことを。
得意な絵を僕をモデルに描いて、それが入賞したことを。
僕は、本当は全部知っていました。
しかし、周囲の視線ばかりきにして姉を姉として見てきませんでした。
だから、僕は弟なんかではありませんでした。
弟失格でした。
それなのに
姉は僕に輸血してくれました。
ありがとう。
ありがとう。
そう思うと、何とも言えない
申し訳ないような
悲しいような
悔しいような涙が出ました。
格好悪い顔で隣に寝ている姉をみました。
変わっている姉の寝相は、やはり、変わっていました。
林檎 [小説]
キッチンで君が林檎を剥いている。
肩の辺りで切り揃えられた黒い髪が、浮き立つような白い横顔を覆っている。
クルクルと器用に林檎を回しながら、スルスルと皮を剥く、君の細くしなやかな手。
「林檎が似合うな…君は」
何気なく僕がそう呟くと、君は振り向いて、首を傾げる。
「それって褒め言葉?」
「どうだろう…思ったままを口にしたんだけど」
君は少しだけ微笑むと、黙ってまた林檎を剥き続ける。
この居心地の悪い重い沈黙は何だろう。
君と僕との間に、何万光年もの距離があるように思えてくる。
僕の心を読んだかのように、君はおもむろに口を開いた。
「ねえ、こんな話知ってる?」
「なに?」
「太陽を挟んだ向こう側に、地球とそっくりな惑星があって、でも、同じ公転で回っているから、地球からは絶対見る事ができないんだって」
「ん~聞いたことあるような気もするけど、それがどうかしたの?」
「私達みたい」
皮を剥き終わると、君は林檎を形よく切り、軽く塩水を通し、透明なガラスの器に盛った。
「どういう意味?」
僕の問いに君は答えず、切った林檎を一つ手に取り、一口齧ると顔をしかめた。
「ねえ、知ってた?」
「えっ?」
「本当はね、私、林檎が好きじゃないの。噛む時のね、このシャリシャリって音が嫌いなの」
それから君は、テーブルの上の赤い林檎を一つ、ポンと僕に放り投げた。
林檎はクルクルと回りながら放物線を描いて、二人の間の床にごろんと転がった。
「あのね、そんな惑星ないのよ。地球は楕円軌道だから、存在する事さえあり得ないんだって」
君は悲しそうにそう言った。
ヒーロー [小説]
大人になったら絶対、正義のヒーローになる。
テレビのヒーロー番組に影響されて、僕は、小学五年の時に心に誓った。
あれから十年が過ぎ、今、ヒーローどころか職にさえ就いていない情けない人間に成長している。
毎週出る求人誌を手に、横になりながら溜め息をつく。
なんてさえない日々なんだ、と求人誌の続きに目を通した。
その時、めくる指が止まった。
“仲間と夢を一緒に叶えませんか?”
よくある広告のコピーに気を止めたわけじゃなく、その文字の続きに目が奪われていた。
“ヒーロー募集”
馬鹿げたことを書いている。
普通の人間ならそう思うに違いないが、俺には、俺を求めてるように感じ、迷うことなく先方に電話をして、面接のアポを取り付けた。
二日後、指定されたコンビニの前に着き、こんなところで待ち合わせなんて。
と思っていたら、後方のコンビニがにわかにざわめき立ち、数人の客が悲鳴を上げて店内から飛び出して来た。
何事かと振り返ると、黒いキャップを深くかぶり、サングラスにマスク、手にはなにやらナイフのような物がキラリ。
「まさか、強盗?」
俺はとっさに、人混みに紛れて逃げようとしたその時だった。
誰かが背後から俺に囁やいた。
「初の指令です。コンビニ強盗と戦ってください。」
俺はすぐ振り返ったが、そこには誰も居なかった。
「ん?何だ?」
奇妙な違和感に、俺はコンビニのガラスに映る自分の姿を見ると、まるで何とかレンジャーのような、俺の憧れていたヒーローの姿になっていた。
その姿に驚きはあったものの、ノリやすい性格の俺は、よ~し!俺はコンビニに勢いよく入って行った。
どうなったのか・・・
気が付くと俺の姿は元に戻っていて、犯人は警察に捕まっていて、俺は、まるで夢を見ている気分だった。
「お疲れ様でした、素晴らしい活躍でしたね。文句なしに採用決定です。はい、今回の分のお給料です。」
と、女性に封筒を渡された。
一体どうなってんだ?
「そんな顔しないで、君が望んだヒーローじゃないですか。仲間のみんなは歓迎していますよ。ほら。」
その女性の後ろには、キラっと真っ白に輝く前歯を見せる、笑顔の六人の男女が立っていた。
そして、俺に眩しい笑顔を浴びせた。
「ヒーロー伝説クラブへようこそ!」
「で、あなたのヒーロー名は何にします?」
・・・・って聞かれてもさぁ。
みかん [小説]
私はみかんが好きだ。
子供の頃から好きで、冬になると親に止められるくらい食べていた。
こたつの上にみかんが積んであるのを見ると、それが尽きるまで食べる。
「食べなければいけない」のではく、「食べたい」のだから、余計に性質が悪い。
ある日、またみかんが積んであった。
こぼれそうなので、一つ食べた。
一つ食べたらもう止められない。
もう一つ、またもう一つと手が出る。
自分でも困ったもんだと思っているが、止まらない。
みかんが少なくなっていった。
あと五個ほど残った、もう一ついけるなと思って手に取ると、なんだか少し柔らかい部分があった。
みかんは青いくらいが調度良いと思っているので、それを食べるのを避けたかった。
他のを取ろうとすると、急にみかんの気持ちを考えてしまった。
「みかんだって、避けられるのは嫌だよなぁ。せっかく生まれてきたのに、ここで腐るのは嫌だよなぁ」
余計なお世話だろうか。
ただ、気になりだすと止まらない。
次々と手に取るみかんのようだ。
柔らかい部分もあったけれど、食べた。
甘いみかんが好きな人は、きっとこれを美味いと思うのだろう。
私は好きではなかった。
食べなければ良かっただろうか。
殺人者 [小説]
遠い町で、殺人があった。
被害者は小さな女の子で、乱暴されて殺されたらしい。
すぐに捕まった犯人は、女の子とはなんの面識もなく、ただたまたま擦れ違っただけだとか。
動機を聞かれ、犯人は「ムシャクシャしてやった、誰でもよかった」と答えたそうだ。
そんなニュースを見た頃からだった。
酷い頭痛とそれによる吐き気、原因不明の高熱で、体が怠くて仕方がないのだ。
何度 病院に足を運んでも、原因が分からない。
薬も効かない。
意識朦朧としながら、俺は一人 自宅の布団の上で呻いていた。
このまま死ぬんじゃないだろうか、それほどの苦しみだった。
なんとか救急車を呼ぼうと、枕元に置いたはずの携帯電話に手を伸ばすが、どういった訳か、届かない。
まるで誰かがわざと遠ざけているようだ。
あまりの高熱に、幻覚でも見ているのかもしれない。
だけどもう、体力も意識も限界だった。
ぐったりと脱力したまま、意識を失いかけている俺に、どこからか可愛らしい声が聞こえた気がした。
「ごめんね、誰でもよかったんだけど……」