真っ赤な手帳 [小説]
トントンと響く包丁の音。
台所では可愛らしい妻が、夕食の準備をしていた。
「ねぇ、今日は何の日か覚えてる?」
料理を手にリビングに戻ってきた妻が、唐突に聞いてきた。
「えーっと、初めて二人でドライブに行った日はこないだだったし、なんだったかな?」
本当はすぐに答えなんて分かっていた。
妻の少しすねた顔が見たかっただけなのは内緒にしておこう。
「……あ、そうか。今日は君と初めてキスした日だ」
ぱっと妻の顔が明るくなる。
「ほら、見て見て」
妻が自分の手帳のカレンダーを見せてくれると、そこには数字につけられた赤い丸とともに、赤い文字で確かにそう書いてあった。
「明後日は初めて二人でつりに行った日だから、早く帰ってきてね。魚料理がんばっちゃうから」
そんな生活が続いた。。。
やがて
2年も経つ頃には、妻の手帳は隙間が無い程、真っ赤になっていた。
「ねぇ、今日は何の日か覚えてる?」
「覚えてるでしょ。。だって、記念日ですもの。。。」
毎日かかってくる妻からの電話は、決まってその言葉から始まる。
すぐに返答できたのは最初だけの話で、今では妻からの電話におびえる日々。
あの手帳さえなければ。。
あの、赤い手帳さえ。。。
ポリスBOX [小説]
やっと見つけた交番に駆け込む。
「どういったご用件でしょうか?」
パソコン画面の警察官が機械的な声で聞いてくる。
「IDスティックをなくしてしまって……」
「何か身分を証明するものをお持ちでしょうか?」
彼は首を振る。
IDスティックとは、手のひらに収まるサイズの棒状の多機能モジュール。
身分証明書になるだけではなく、財布や鍵、電話の機能など
生活に必要な機能すべてがIDスティックに入っているのだ。
それ一つですべてのことが足りる以上、他のものなどもっているはずなどなかった。
「誰か、あなたの身元を確認できる人はいますか?」
彼は首を振る。
連絡を取ろうにも、今どき他人の連絡先を脳に刻み込んでいる人間などいない。
IDスティックにのみそれが記憶されているのだから、友人はもちろん、親にさえ連絡が取れなかった。
「身分を確認できないため、市民権なしと判断させて頂きます」
それだけいうと、ディスプレイの電源がぷちっと消える。
市民権がない以上、彼は『存在しない』と判断されてしまったのだ。
「おい、待ってくれよ!」
しかし彼が何を言っても、もはやディスプレイは何の反応も示さない。
黒い画面には、ただ彼の青白い顔だけが映されていた。
イニシャル7 [小説]
頭はガンガンするし、ハンドルを握る手にも力が入らなかった。
「しっかりしろ」
オレは自分に言い聞かせて、シートに深く腰を掛け直した。
目の前のガラス越しに、見慣れた光景が過ぎ去ってゆく。
大音量の音楽が鳴っているにも拘わらず、
眠気でまぶたが閉じそうになる。
必死に堪えようとするが、
何度か強弱を付けて襲い掛かってくる睡魔に、
ほんの一瞬意識が途切れた。
「まずい」
慌ててまぶたを開けると、
目の前には……
「うわっ、当たる!」
身体が強張り、足に力が入る。
景色がスローモーションになり、
その瞬間。
ガラス越しの画面には、7が三つ揃っていた。
大日本帝国??? [小説]
ついに二度目の聖火が東京の空を灯した。
テレビには満面の笑みを浮かべたインタビュアーが映っている。
「それでは元東京都知事の舛添要一 さんに感想を訊いてみましょう」
マイクが舛添氏にむけられる。
舛添氏の苦みばしった表情が大写しになった。
薄くなった銀髪が、スタジアムの照明を反射する。
「 舛添要一さん 、今のお気持ちは?」
「悲しいね」
舛添氏 は吐き捨てるように言った。
「何故ですか? これほどめでたい日に。
舛添要一さん 悲願の東京オリンピックではありませんか」
「なにをバカな……」
舛添氏はきゅっと目尻をひくつかせ、インタビュアーを睨みつける。
「わたしが開催を願っていたのは、東京オリンピックであって、
トンキン(東京)オリンピックではない! 断じてだ!
だいたい約束が違う――」
ピー、ガガガガガガ。
急に画面が砂嵐状態に変わり、音声が聞きとれなくなった。
――映像が乱れましたことをお詫びいたします。
競技場の映像に戻った後、画面下に白抜きのテロップが流れた。
再び、さきほどのインタビュアーが登場する。
だが、舛添 要一 氏の姿は見えない。
「――それでは、スタジオにお返しします。
以上、日本省東京市、オリンピックスタジアムからお送りしました」
ハングル訛りのインタビュアーの顔には、
相変わらず満面の笑みが貼りついていた。
アイ [小説]
右目の調子がおかしかった。
最近、手入れを怠っていたせいかもしれない。
もしくは一昨日、勢いあまって床に落としてしまったのが原因だろうか。
とにかく、思い当たる節には困らない。
洗面所で顔を洗う際に確かめてみたら、やはり表面がかすかに曇っているように見える。
仕方ない、と俺は服を着替えると、近所にあたらしく出来たばかりの専門店に入っていった。
俺はしばらく品定めをしていたが、ふと気に入ったのを一つ見つけ足を止めた。
「この、アングロサクソンのブルーは何年ものですか?」
なかなかレアな逸品だった。
少々値は張るが、せっかくだしいつもとは違うのにしてみようか。
試着ができないかと店員に聞いてみると、快く承諾の返事。
遠慮なく右目にはめてみると、装着感も悪くない。
「じゃ、これ下さい」
レジで金を払う。
はずすのも面倒なので、着けたまま店を出た。
気のせいかもしれないが、新しいものはやっぱり気持ちがいい。
不意に見上げた、青い空。
見慣れたはずのそれもまた、心なしかいつもより青く感じられた。
不都合な真実 [小説]
「次のニュースです」
つけっぱなしにしてあったテレビから、アナウンサーの声が聞こえてくる。
外から視線を戻し、なんとはなしにそちらへと目を向けた。
「昨年度の下半期の統計によると、輸入品全体に占める子供の割合が30%を越えました。この傾向は今後も続く模様です。」
アナウンサーが事務的に原稿を読み上げる。
これも国際化ってやつだろうか。
その大半が中東や東南アジアの戦争孤児らしい。
小学校の入学式では、純粋な日本人の子供を探す方が大変だって話だ。
最近は本当に子供の数が増えた気がする。
ただし肌の白い子はほとんど見かけない。
「ご飯できたわよ」
奥のキッチンから妻の呼ぶ声。
そういえば、うちも結婚して今年で5年になる。
そろそろ子供の一人も育ててみるか。
ネクタイを締めながら、ふとそんなことを思った。
ポイント お得 [小説]
待合室はいつものように混雑していた。
そういえば最近、風邪が流行ってるといってたっけ。
そんなことを考えていたら、俺の名前が呼ばれた。
診察室に入る。
「やはり、肝臓の数値がよくありませんね」
「そうですか……」
神妙な顔つきでうなづくしかなかった。
結局のところ、お酒を控えろってことなんだろう。
それは十分に分かっている。
足取り重く診察室を後にした俺は、今度は会計の前で順番を待つ。
番号を呼ばれ会計を済ませると、お釣りと一緒にポイントカードも返ってきた。
確認すると、あと13ポイントで人工肝臓と交換できるところまで貯まっていた。
こないだ人工すい臓と交換したばかりと思っていたのに、意外と貯まるのが早い。
心臓の方も調子が悪いけれど、あと40ポイント必要なことを考えると、やはり肝臓の方が先か。
必要なポイントを改めて確認してから、俺はカードを財布にしまった。
卵 [小説]
「これなんかどう?」
仲睦まじげな若い夫婦が、奥まった棚の前で足を止めていた。
夫が棚に置かれた一つを手にして、妻に聞く。
「う~ん、やっぱり国産がいいかなぁ」
しかし彼女はいまいちのようだった。
ここは、卵の専門店。
丁寧に梱包された商品には産地や成分表示もしっかりと書かれていた。
「最近は外国産のも、けっこういいって話だぞ」
「だってぇ」
彼女の主張は強く、彼も仕方ないなといった風に肩をすくめた。
「じゃ、あっちの遺伝子組み換えのやつは?」
「あ、それがいいかも」
今度は彼女も乗り気のようだった。
つい先日も新しい遺伝子組み換えの卵が開発されたと、CMでやっていたばかりだ。
彼女の中には、その印象が強く残っているのだろう。
「スポーツが得意な子も捨てがたいけど、芸術家なんてのもいいわよねぇ」
「俺はとにかく、元気な子がいいな」
自然配合の卵もいいが、やはり優秀なものも魅力的だった。
明るい未来の家庭を想像して、二人は少し遠い目をする。
2時間ほど経過した頃、二人の間で一つの結論が出た。
「じゃ、この受精卵でいいよな?」
パッケージには<国産・遺伝子組み換え(スポーツ)・温厚・誠実>と表示されていた。
「うん」
仲良く腕を組みながら、若い夫婦は選んだ卵を愛おしそうに抱えてレジへと向かっていった。
当選 [小説]
「だから、言ってるだろ」
俺の口調はだんだんと荒くなっていた。
しかし、それは弟も同じこと。
「1億円全部使ってか?……嘘だろ」
呆れたような顔を見せる。
そんな弟の態度に俺はさらに声を荒げた。
「俺は長男だぞ!」
「だからといって、勝手すぎるだろ」
「お前は何時もそうだ」
「なにー」
「やるのか?」
「やめてよ、二人とも!!」
見かねて間に割って入ったのは、二人の妹の美由紀だった。
「確かに1億円なんて大金は私たちに馴染みのないものだし、でもだからって、どうしてこうなるの?」
書庫 [小説]
古い書物はいい
色あせて茶色くなっていたりシミだらけになったような古い本。
開くとかびくさい匂いがしてきたりする。
ところどころに赤線が引いてあったり、へたな字で書き込みがしてあったりする。
先日、ふとしたことで昔読んだことのある「ヘンリー・ライクロフトの私記」という本のことを思い出し、家じゅうさがしてみたが見つからなかった。
あきらめていたところしばらくして書店に飾ってあるこの本を見つけた。
うれしくなり手にとる間もなくレジへ持っていって支払いを済ませた。
あわただしくわれながら可笑しかった。
文庫本だがしゃれた装丁で、あきらかに最近発行されたものだ。
著者はジョージ・ギッシング。
訳者は池ひろあき氏
読みはじめると昔読んだ記憶がよみがえる。
どうしてこんな本が好きだったのだろうか、などと思い、感慨にふけりながら読んでしまう。
黄色いマーカーを入れ、付箋をつけておいた箇所がある。
どんな人が、この本を読んだのか?
なんて事を考えながら時間を忘れる。。。
早く寝ないと。。。